夢の地球一周の船旅(前編)

安藤雅巳


昨年(2007年)は私にとって大きな転換点でした。というのも春にリタイアしたからです。この機に、これまで通算35年勤めてきた自分の人生に一つスパイスをかけようと、思い切って「ピースボート地球一周の船旅」に行ってきました。周りからの要望もあり、この船旅の分について若干の文章を書いてみたいと思います。実は、紀行文を本という形にまとめようということで、船上で知り合った人と共同出版しますので、それまでのつなぎです。本ができたらまたそれを読んでください。

そもそも地球一周の船旅、ピースボートがあるというのを知ったのは5〜6年前、今治の商店街を早朝に歩いていたときのことだったと思います。ある商店に張られていたポスターを見て、「こんなんあるんや。行ってみたいなあ」とずっと思い続けてきましたが、今回初めての乗船でいわば夢の実現です。

地球一周、世界一周と銘打っている船はピースボートのほか、飛鳥、にっぽん丸など豪華船もあります。でも豪華船はえらく値段が高いし2人が基本で1人参加の場合はさらに割増になるようです。その点、ピースボートは1人参加の基本設定があり、割増はなくて、早期申し込みの場合は割引があって、かなり格安で乗れます。ただし、トパーズ号という船は結構古くて半世紀前の蒸気船でした。頑丈な点では他の船に負けないそうですが、事前の船内見学に行ったときには、ちょっと狭そうと思ったものでした。でも、ピースボートはクルーズ界のユニクロとも言われ(スタッフが実際に言ってた)、カジュアルな点が気に入りました。

この船で行きました
(デンマーク・コペンハーゲンで撮影
 2007.7.25

乗ってみての印象は、若者がすっごく多いということです。今回乗った第58回クルーズでは乗客が約950名で、正式なデータの発表はありませんでしたが半分以上は20代前後の若者のようです。それ以外は60代前後の年寄り組みです。男女比は46ぐらいで女性のほうが多い感じでした。また、年齢では最年少5歳、最高齢92歳のようでした。ですから人口ピラミッドで書けばちょっといびつな瓢箪型だと思います。もともとピースボート自体、船旅を通じて国際交流を深めるNGOですから、どちらかと言えばこれからの将来を担う若者が主体です。そこに年配者も乗せてもらってるというイメージでしょうか。

前置きが長くなりましたが、2007610日に神戸港を出航し、920日に神戸港に帰ってくる103日間の船旅です。神戸発着は58回クルーズで終わりらしく、今後は横浜だけになるので貴重な体験となりました。訪れた国は20か国、寄港地は22箇所です。イエメンやヨルダンなどアラビア圏、ジャマイカやコスタリカ、グアテマラといった中米方面、スエズ、パナマ両運河通航など、一般ツアーでは訪れることが少ないようなところも含まれていたのも魅力の一つです

神戸港を610日の夕方、Xと息子夫婦、孫娘らに見送られて盛大に出航したものの、直後は「これから3か月以上もどないなるんやろ」という心細さと不安感、それにこれから先の期待感が入り乱れた変な感じでした。結果的には多くの友人・知人ができたし、めったに行くことのできない国や文化、人々との交流もあって、夢の世界を楽しく過ごすことができました。今、こうやって原稿を書いている時も、船の友人から電話やメールがあって、本当に行ってよかったとまだ余韻に浸っているところです。

神戸を出たあと1番目の寄港地はベトナム中部のダナンという港町です。岸壁では若者らによる盛大な歓迎の催しがありました。ツアーはベトナム原風景を訪ねるコースに参加しましたが、案内はダナン大学日本語学科の学生で、流暢な日本語でびっくりしました。ちょうど行った日は夏祭りのときで、町中にバイクがあふれていました。

以下、印象に残った天文現象を中心に書いてみたいと思います。

ベトナムの次の寄港地、シンガポールまでの間に自主企画で南十字星を見ようという集いがあって、天気のよい夜は前方デッキが賑わっていました。船の構造上、ブリッジ(操舵室)より前は真っ暗で、逆に後方には洋上居酒屋「波へい」というのがあるので、星を見るには前方デッキが最適です。南十字星は見えたものの、どうもスカッと晴れた日がなくて残念でした。それとさそり座が高いというのも印象的でした。前方デッキにはいつも10〜20人ぐらいがたむろしていました。やはりどこでもいるもので、☆ファンの人は星座の解説をしてはりました。俄か天文ファン用に星座早見盤は売店に売ってありました。

インド洋に入ったら海がしけて大揺れの日が続き、船酔いに弱い人は薬をいっぱい飲んで意識朦朧。私も1回だけ薬のお世話になりましたが、できるだけ揺れの少ない中央付近で過ごしたり、本を読んだりしないなどで乗り越えました。インド洋を過ぎると紅海に入り、やはり内海だけあって、一時はまったく凪の日がありました。もじどおり油を打ったように静まり返った海面を、楽そうに船は進みます。その日、月の状態はあまりよくありませんでしたが、金星が沈むときに、凪の海面に金星の光影が長く映って幻想的な光景でした。

 水平線に沈む夕日を撮影する人たち上写真 : 2007.7.4紅海洋上で)
日の出、日の入りは船旅では楽しみの一つです。船内新聞にもその時刻はきちっと掲載されています。中東方面ではさすがに砂漠があるぐらいでずっと天気がよく、船上からも水平線から昇る太陽、水平線に沈む夕日を何度か見ました。ギャラリーが多くて、74日の夕刻、最も水平線の空気が澄んでいて、最後の赤い点がプツンと消えるように水平線に沈んだとき、どよめきとともに拍手が起きたのにはびっくり。それだけ人を感動させたのでしょう。

デンマークからノルウェイへと北に向かうにしたがって、高緯度となって日没が遅くなります。ノルウェイのベルゲンでは北緯60度を超え、日の出が55分、日の入りが2228分で、夜が非常に短くなります。実際、23時を過ぎてもまだ空は白く、白夜かなと思わせる感じでした。本当の白夜はもう少し高緯度に行けばよいようです。

8月中旬は、ニューヨークを出てジャマイカに向けて大西洋を南下中でした。このときの星空は今回のクルーズで最高でした。ちょうどペルセウス流星群もあるし、前後2~3日の夜は前方デッキは大賑わいでした。中でも812日の夜半、時間にすると2330分ごろから2時間ほどは雲ひとつなく、群流星が25個と数は少なかったものの、天を横切る火球が数個みられました。痕を残すものが多く、しばらく痕が消えないものもあり、その都度、大歓声です。デッキに寝っころがって観ているものですから、真っ暗な中をあとからやってきた人に踏まれないようにしなければならないのが面倒でしたが、観ていた皆は大満足であったに違いありません。

このように前方デッキが賑わったのは、あと1回ありました。もう旅の終盤にさしかかった96日、アラスカ湾から氷河見物のクルーズしているときの夜、イエローナイフとさほど緯度も変わらないし、ひょっとしてとオーロラが観えるのではないかと期待した人々で多く集まってきていました。夜半まではよい天気で銀河もはっきりしてたのに、25時を回るころから雲が広がりいともあっさりと幕が下ろされました。この日以外は雨とか曇天でまったくNGでした。でも一応はピースボートスタッフによるオーロラ発見隊が組まれ、もし見えたらどんな夜中であろうと船内放送を流す段取りになってました。

これより前、グアテマラで船を離脱してオーロラをイエローナイフまで見に行くツアーもオプションで組まれていましたが、行った人の話では見えたと喜んでいました。私はツアー代金が40万円近くもするので、こんだけ出すなら日本からのツアーでもええやんとブツブツ言いながら申し込みませんでした。また、オプショナルツアーで星空がきれいだったと聞いたのは、ヨルダンのワディラムへキャンプに行った人でした。テントから出ると満天の星空。星座が何が何だか分からない状態だったようです。

このほか、船上で迎えた天文現象の一つに月食があります。このときは太平洋をバンクーバーへ向かって航行中で828日の未明、結果的には終わりかけに少し観ただけになってしまいました。夜中にずっと観ていた人もいたらしい。私は後方の居酒屋波へいのオープンデッキでねばっていましたが、つい飲みすぎたのか睡魔には勝てず少しキャビンで仮眠しているうちに、ほとんど月食は終わってしまったのでありました。

いろいろ天文現象にまつわることを書いてきましたが、せいぜい双眼鏡で、天体望遠鏡を持ってきている人は一人もいませんでした。カメラでの撮影もしかり。船上からは床が常に揺れているので当たり前といえば当たり前のことですが・・・。

今回のクルーズ、初めて参加したものにとって当初の不安感はすぐに消え、船内の多彩なイベントや講座などもあって退屈せずに103日間を過ごすことができてよかったです。多くの見知らぬ国を歩いて文化も体験できました。帰国する間際に若い人が言った言葉「現実の世界に戻れるやろか」に凝縮されているように、3か月余りというのは絶妙の「夢の世界」なのでありました。また何年かしたら、今度は南回りコースで乗ってみたいと考えています。

※以上、今回の原稿では天文現象に関わることがメインになりましたが、また違う角度から書いてみたいと思います。