会報第195号 テキスト版

(最終号)

2006.05


2006−5  ▲YRL狭山クラブ通常総会
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第30回通常総会には14名が出席
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 第30回、記念すべき通常総会を4月15日(土曜日)、午後6時から大野台1丁目の市立コミュニティセンター会議室で開きました。今回の会場はいつものSAYAKAホールではなく、狭山ニュータウン内に会場を変えたことなどの効果か?例年より多い14名の出席しました。
■まず前年度事業報告から。昨年4月には第29回通常総会を、5月には主に7日と8日に8N3KAN/3の記念局運用を市内大野で行いました。8月には恒例のうだる暑さを乗り切る飲み会をワンカルビ狭山店で、10月には、さやか公園で行われた大阪狭山市防災訓練に初めて参加しました。11月にはオール大阪コンテストに参加し、クラブ対抗で久々の入賞(第3位)を果たすことができました。本年1月には新春ミーティングを開きました。このほか、「狭山クラブ報」の発行が190号から194号まで、JARL大阪府支部行事への参加、クラブ代表者会議への出席などがありました。SKIツアーについては計画倒れに終わりました。
■次に会計報告が武原さんからあり、異議無く承認されました。
05年度会計報告 【収入の部】前年度からの繰越金123,129円、会費33,000円、合計159,129円 【支出の部】JARL会費10,910円(手数料込)、電波利用料500
円、移動運用ガソリン代2,000円(KAN運用)、狭山クラブ報郵送代他(No.190−No.194)16,620円、うだる暑さ飲み会補助ワンカルビ(8月27日)3,950円、新春ミーティング補助夢心(1月29日)1,310円、計35,290円 【繰越】120,839円
■このあと新年度の議題に移り、クラブ報の発行について、それに代わるブログの試験運用、今後の行事等について審議を行いました。クラブ報についてはほぼ1年前からの予告どおり、一旦休刊ということになり、その代替措置としてブログの新設やホームページの充実、メーリングリストの開始などを行うことになりました。クラブ報はクラブの発足1年後からほぼコンスタントに30年近く発行を続けてきましたが、ペーパーベースでの情報伝達は時代の速報性に欠け、一定の役目を終えたとして休刊ということになりました。
 新年度の事業計画案については、ほぼ原案どおり次のとおりと決まりました。
@通常総会の開催、Aうだる暑さをのりきる飲み会の開催、Bオール大阪コンテストへの参加、C新春ミーティングの開催、D製作講習会の開催、Eスキー&温泉ツアーの実施、F移動運用(記念局8N3HAMの運用・5月の連休中などに)、G大阪狭山市防災訓練への参加などです。
■そのほか、今回の総会で出されていた主な意見などは次のとおりです。
・防災訓練にエントリーしていないのに勝手にコールサインが入っていた。・クラブ報休刊で、メールアドレス等がない局にはハガキなどで対応すべき。・クラブ報は200号まで出したらどうか。・ホームページをつくるのを製作講習会の代替案にすればどうか。
・クラブのホームページは今あるのを充実していけばよい。
【通常総会出席者】下津富雄、佐納康治、土井茂雄、高木敏明、西本幸男、溝端克司、氏川誠、中浴嗣也、杉香登、黒野文夫、安藤雅巳、武原秀夫、若松明育、森昭弘、以上14名(敬称略・順不同)
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◎クラブ報の代替
JR3YRLブログ、メーリングリスト開設
 今まで、会員に対してクラブの行事等の連絡には、定期的に発行されるクラブ報を通じて行ってきました。速報性の点で、クラブ報は欠けています。4月の総会において、会員相互の連絡網の充実に、ブログ、メーリングリストの開設が可決されました。
 しかし、インターネット環境を全会員が持っているわけではなく、ネット環境のない会員に対しての対応など、色々な問題もあります。試験的ではありますが、会員の情報交換の場として、ブログ、メーリングリストを開設いたしました。
 メーリングリストには、現在13名の登録があります。メールアドレスを持っておられる会員の参加をよろしくお願いいたします。 
◎メーリングリストアドレス http://groups.yahoo.co.jp/group/jr3yrl/ 
 ブログも順調に動いています。ぜひ、記事の書き込みをお願いします。書き込みは、ログインID、パスワードでログイン後、(クラブ員の方にはMLでお送りしています)記事を書き込めます。写真でも質問など、なんでも結構です。会員の1ページとして充実させていきたく思っています。
◎ブログアドレス  http://blog.goo.ne.jp/jr3yrl/
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■クラブ報休刊のお知らせ  現在まで、長年に亘り安藤さんのご好意によりクラブ報の編集、発行をお願いしてきました。4月の総会におきまして、IT社会の現在、ペーパーベースでのクラブ報を見直しては?と議題にあがりました。昨今のインターネット環境の普及に伴い、クラブ報のホームページ化、及び会員への連絡等に関しましては、ブログ、メーリングリストを活用していく。また、インターネット環境のない会員に関しましては、行事等を文書で案内をしていってはどうかと議決されました。今年度は、試用期間としてこのような形で行い、来年度の総会において、存続および廃刊の決議をすることとなりました。
 長らく愛読して頂きましたクラブ報は、今号を持ちまして一時休刊とさせて頂きます。
今後、クラブ報は形変えてホームページ上で、これからも生き続けます。クラブの活性化の一つとして、今まで以上に充実したクラブ報としてホームページ、ブログを会員全員の力で盛り上げていきましょう。              (DE 森会長より)
関西アマチュア無線フェスティバル(関ハム)
8N3HAM/3 記念局運用
 8N3HAM/3記念局運用を、JR3YRL/JK3ZCR合同で行いました。4月23日には、中浴、土井、森の3局で和泉葛城山の和歌山県紀ノ川市のポイントにおいて、山桜を観賞しながらの運用となりました。総交信局数は、453局でした。
また、4月30日、5月6日、7日には、JK3ZCRクラブ局(SAYAKAホール内)にて公開運用を行いました。総交信局数は、2,413局でした。詳しくは次の表のとおりです。 オール大阪コンテストのシーズンになりました。今回で早くも第11回目。第1回から第3回まで狭山クラブが優勝してから、もう10年ほどになります。それ以来、休まず参加し続けています。今回は、11月6日(日曜日)、午前6時から午後6時までの開催です。(詳しくは後記)
 昨年は大野地区に移動しての運用を行いましたが、今回はクラブとしての移動運用はありません。各局において固定からの運用なり、移動運用なり、自主的な参加をお願いします。もし、クラブ局の運用を希望される場合は、早めに森会長あてご連絡ください。
 今のところ移動運用を予定しているのは、中浴さんが、前日(11月5日、土曜日)の午後から和泉葛城山の泉佐野市のポイントへ行くことになっています。詳しくは、同局へお問い合わせください。
 運用のルールは、JARL NEWS秋号36,37ページに掲載されていますが、要点だけをまとめると次のとおりです。

☆★特別寄稿☆★ 
私の無線回顧録(2)黒野文夫
 その頃の暮らしと言っても、敗戦後(日本がアメリカ、イギリス、ロシアを相手に)2〜3年頃は、電機と言えば電灯すなわち白熱電灯を指してたと思います。と言うのも家にある電気器具と言えば、5燭の豆球みたいな電球と、家によってはラジオが一台。確かに田舎ということもありましたが、他所下層の暮らしはあまり変わらないでしょう。

 燃料も充分無いので、ちょっと器用な人は、ニクロム線で電気コンロを作って使ってました。当時は大抵の家には電力メーターはなく、電灯5燭ラジオ一台というような契約でしたので、今からいえば盗電ですわな。それから自動パン焼き器のような物もつくってました。10〜15cmで深さ10cm位の木箱を作って、内側両側面にブリキかトタンを貼ります。箱の中にねった麦の粉を入れて極版に100Vをつなぐと、水分のある間は通電して発熱しますがパンが焼けると水分が無くなり、自動的に通電が止まる訳です。

 とは言っても、関西配電(関西電力ではない)の設備もちゃちで、20戸くらいの集落に1KVAくらいの小さなトランスがあるだけで、それも100Vを集落中に引き回すので電圧降下や容オーバーで粗悪なトランスは焼け、大変悪い電力事情でした。とは言っても一軒当たりの契約電力からすれば余裕はあるはずです。配電線もいっとき鉄線が使われたことがあるそうです。また、連接引き込みと言って家の軒から軒への配線ですから、電柱は集落に1〜2本しかないので今からいえばすっきりしてたんでしょうね。 

 私が、電気や機械に興味を持ったのは、小学2年位の時でした。第2次世界大戦の後で、まだ堺から羽曳野に疎開してましたが、そのとき従兄弟が玩具の電気機関車を持って遊びに来たことに始まります。電気機関車といっても、真鍮の枠の上にモーターをのせて枠に車輪を2軸付けただけの物でした。当時は田舎でしたので、其れを見るのは、今で言うカルチャーショックでした。鉄の幅40〜50ミリの3本レールで、お粗末なトランス4〜10Vで走らせましたが何分レールが短いのでわっと言ったら終いです。

 どうしても其れが欲しくなり、親爺に言うと貧乏なくせに買ってくれました。ただ、レールは高価で買えなかったんで、親爺は着きに100円呉れて、其れを握って阿部野橋(天王寺)まで、徒歩30分電車20分くらいかけて独りで買いに行きました。その頃は、今みたいにつねに親がついて歩く必要もなかったんですね。それでも「子取りにさらわれて売られる」なんて言葉がありました。100円で12本で円形につながる中古のブリキ製の曲線のレール3本が買えるんです。バラで売ってくれたんですが、途中で誰かが買わないか心配でした。二回目に行ったときに店の人が、置いといてやると言ってくれて安心しました。

 その時乗った電車は近鉄南大阪線で、ドアは車掌が手で開閉してましたが、前から順に閉めていって、途中で発射の笛を吹くのです。勿論電車はでますので、車掌は最後の扉に飛び乗るのですが其れがとっても格好良かったのです。 (終わり)
 

■海外紀行シリーズ
エストニア・ラトビア・リトアニア・ポーランド(2)(佐納康治)
 2001年3月11日(日) 10時のバスでビルニウスに向けて出発。乗客は8人しかいない(しかも、そのうちの3人はすぐに降りてしまった)。リガ発ビルニウス行きのバスは一日1本このバスしかないのに、その乗客がこんなに少ないとは、驚きである(なお、それ以外にタリン発リガ経由ビルニウス行きもあるが、真夜中のとんでもない時刻に走っており、事実上使えない)。バルト3国相互間の交通は、全然便利でない。互いに仲が悪いのだろうか。

 11:40、国境に到着。出入国問題なし。国境の両替所に行くが、余りレートが良くない。でも、今日は日曜日だから、ここで少しだけでも換えておく方が安心できる。200フィンランドマルカ両替し、110L(リトアニアリタス)。

 リトアニアに入り、最初に停車したのが Pasvalys と言う町である。ここで停車中、付近の写真をとっていると、同じバスに乗っていたリトアニア人のおっさんがすごい剣幕で怒り出した。何で街の写真を撮ったらあかんねん!

 Pasvalys からは乗客がどっさり乗ってきた。その次の町でも、乗客が次々と乗ってきて、バスは満員、立っている人まで出てきた。国境の手前まで5人しかいなかった乗客が、国境を越えた途端に超満員。

 ビルニウスに午後4時前に到着。今日はここに泊まるかどうか考えたが、何となくカウナスに行きたくなったので、すぐにカウナス行きの切符を買った。11.50リタス。約330円。1時間半ぐらいでカウナスに着いた。バスターミナルに着いたが、近くにホテルらしきものもない。すぐ近くの鉄道駅にも行ってみたが、駅付近にもホテルらしきものはない。駅前のツーリストインフォメーションは日曜日で休み。

 駅に戻ってよくよく見ると、壁にカウナスの地図が貼ってある。それを見ると、この辺にはホテルは全くないことが分かった。ただ、少し離れたところに一軒だけホテルの印がある。とにかくそこに行ってみる。
 Hotel Perkuno Namai というそのホテルは、閑静な住宅街の中にあった。しかし、行ってみて唖然。4つ星の高級ホテルだったからだ。かなり高そうだ。でも、もう午後6時をまわって辺りは暗いし、ほかに行くところも知らないし、今日はここに泊まるしかないと判断した。恐る恐るフロントに値段を聞いて見た。フロントの女性はニコニコして、「330リタスです」と言っていたが、私は顔面蒼白。1万円じゃないですか。そんな高いところ泊まれません。

 結局、値切りに値切って、232リタスまで下がった。約7,000円。まあ仕方ないか。意地を張ってガイドブックを持ってこないからだ。それで、安いホテルがどこにあるのかも分からない。自分の責任。とにかく、今日は観念してここに泊まることにする。それだけ高いホテルなので、部屋は上等。ホテル代がかさんだので夕食は1リタスのパンだけ。
 3月12日(月)、今日はポーランドに移動である。朝一番に駅に行き、ポーランドの Suwalki までの切符を買う。33.20リタス。それからホテルに戻り、バイキングの朝食を食いだめ。食べていると、ホテルのマネージャーが出てきて、「日本の方ですか?」。聞くと、杉原領事の旧邸(旧日本領事館)がこの近くにあるという。第二次世界大戦中、ナチスから迫害されている人々を救うため、日本のビザを発行した領事である。当時、日本とナチスドイツとが同盟関係にあった中、ビザを発行し続けた杉原領事の勇気と正義感には敬服するほかない。

 旧日本領事館は、ホテルのすぐ近く、歩いて5分ぐらいのところにあった。リトアニアが攻め込まれ、首都のビルニウスが陥落したあと、カウナスが臨時首都となったとき、日本領事館がここに置かれて、杉原領事がここでビザを出し続けたのだそうである。門柱には、「希望の門、命のヴィザ」と書かれていた。カウナスの旧日本領事館の門柱には、「希望の門、命のヴィザ」の文字が刻まれている。昼前にホテルを出て、駅まで行く。3両編成の列車で、国境の Sestokai まで。反対側に、ポーランドの列車が停まっている。これに乗り換え。14:05発車。14:20、リトアニアの最後の駅 Maskava でリトアニアの出国検査。14:40、発車。ポーランドに入る。時差が1時間あるので、時計が戻って14:05、ポーランドの最初の駅、Trakiszki に到着した。         (終わり)
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【編集子より】::::なんだか途中で終わるのも変ですが、クラブ報休刊に伴い、佐納康治さんの海外旅行記もここで一旦ピリオドです。もちろん旅行記そのものはまだまだ続いています。続きは佐納さん自身がつくったホームページでお楽しみください。「佐納康治のホームページ」で検索するとすぐ出てきます。
http://www.asahi-net.or.jp/~hc7y-snu/

■恒例:うだる暑さを乗り切る飲み会■
 8月27日(土曜日)午後6時30分から、大阪狭山市半田6丁目のワンカルビ狭山店で、毎夏恒例の「うだる暑さを乗り切る飲み会」を開きました。参加したのは森会長をはじめ6局で、美味しい焼き肉と冷たいビールで鋭気を養いながら近況報告などを行いました。表紙の写真は、どっかのYLさんに店の前で撮ってもらったものです。
■ハムフェアへ行ってきました■
 アマチュア無線フェスティバル・ハムフェア2005は、さる8月20日(土)と21日(日)の両日、東京都江東区有明の東京ビッグサイト西2ホールで開かれ、狭山クラブからはJA3UJR中浴さんとJA3KVM安藤が参加してきました。今年のキャッチフレーズは、「不思議を楽しむアマチュア無線」。恒例のクラブ展示やジャンク市のほか、階上では鉄道模型の世界展もあって楽しんできました。
■非常通信の訓練を行いました■
 大阪狭山アマチュア無線クラブ(JK3ZCR)と狭山クラブ(JR3YRL)では合同で、アマチュア局の非常通信訓練を9月4日に行いました。当初、当日の午後に総合体育館前に基地局を設けて行うということでお知らせしていましたが、午前に変更になり、SAYAKAの無線局を基地として行いました。これは、各避難地区と基地局との間で非常時に通信が可能かを実証実験したものです。
■新市情報■ 
 大阪府に隣接する身近なところで、11月7日(月曜日)に新市が誕生します。那賀郡粉河町、桃山町、那賀町、貴志川町、打田町が合併して「紀の川市」となるもので、ちょうど和泉葛城山の和歌山側です。紀ノ川市ではありませんのでご注意を。これで那賀郡が消滅するのかと思いきや、岩出町が残ります。しかし、この岩出町も来年4月に単独での市制施行を目指しています。参考までに、11月7日には、遠いところでは南さつま市、霧島市もできるようです。
■クラブ報はどうしますか?■
 前号で「クラブ報は廃刊へ」との記事を載せたところ、2、3のご意見をいただきました。一つは、「クラブ報を廃止する方向でしたら(ホームページで)テキスト版だけでなく簡単に印刷して残せるPDF版などを置く場所と、会員に新しい情報が載せられた旨を伝える手段を作らないといけないと思います。掲示板を設けるのも方法でしょう」というのと、「飲み会の案内などはML等で流せば済むことだし、クラブ報の当初の役割はなくなってきているように思います」、また「会報というイメージを捨て、情報伝達手段としてMLとHPがあればよいのではないでしょうか」という意見もありました。
 編集子としては、およそ30年近くにもなるクラブ報発行で一定の目的が達せられたことでしょうし、時代の変遷というか、電子媒体が錯綜する中ではいつまでも紙によるクラブ報というのはもうそろそろ廃刊してもよいのではないかと考えますが、さらにご意見を出していただきますようお願いします。

らぐちゅうーるーむ 
らぐちゅうーるーむ(最終回) ◆いよいよこのらぐちゅうーるーむも最終回となりました。クラブ報の発行が休刊となったからです。クラブ報は休刊と言っても限りなく廃刊に近い休刊です。長年発行に取り組んできた編集子としては、一抹の寂しさはありますが、やはり時代の変遷とでもいいますか仕方ないことです。◆確かに存続を希望される方も何局かおられますが、以前に「クラブ報は廃刊へ」という記事を載せたところ、特に反応はなく、また、単なる行事の日時のお知らせに年間支出額の半分近くも割いていたのでは効率的ではありません。最近の記事にしてもほとんどが会員のブログやホームページで公開されている内容です。それをペーパーベースにして高い郵送料、印刷代をかけてクラブ報を発行していくのもどうかなという気がしていました。◆今、情報伝達手段としては30年前にはなかった数々の電子媒体が登場しています。これからは、クラブのホームページやブログ、メーリングリストの3大媒体を活用してコミュニケーションを図ることになります。しかし、忘れてはならないのは私たちはアマチュア無線愛好者のクラブです。◆無線通信という原点にかえってみると、ロールコールやお空でのラグチューなどという手段があります。かつては430MHzのパケット通信で情報交換したり、一定の周波数、特に50MHzではいつも誰かが出ていて賑やかだったことがありました。ところが携帯電話やパソコンでのメール交換が盛んになるにつれ、お空が静かになってしまったようです。先ほど書きました3大媒体に加え、アマチュア無線通信での情報も見直してみる必要があるところです。◆このクラブ報が、クラブ発足1年後から発行すし、親しまれて195号も発行できましたことに、編集子として皆さんに感謝申し上げます。何回も原稿を寄せてもらった局、無理やり頼んで書いてもらったりと、いろいろありましたが、クラブ30周年の節目にペンを置くことができて光栄です。(終わり)
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■差し上げます■ ワープロ(SHARP書院WD-A600・熱転写ブラウン管式、完動品取説等付)、パソコン(NEC,PC9821V200.完動品、ディスプレー、プリンター、ラック・取説付)、コンジットパイプ2本、問い合わせ安藤まで。
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【退会】 古賀史朗さんは体調の回復が優れないため退会されました。
【退会扱い】 次の各局は会費滞納のため退会扱いとなりました。 川田博唯さん、初瀬慎一さん、國年滋行さん、以上3局。
───  狭山クラブのメーリングリスト、ブログに積極的に参加しましょう!───◆

JR3YRL「狭山クラブ報」 第195号   2006.5   (編集:安藤雅巳)
発行:狭山クラブ(JARL25-1-14)